うまくいかない時ほど悪い部分ばかり見てしまう
オーストラリアから帰ってきて3年、語学力は上がったけど人生は行き詰っている。
キャリアもろくに積まないまま人生積んでるのも問題だけど、
もうちょっと目先のことを考えれば、今の課題は主に以下の2つ。
- 面白い人との出会いが少ない
- 仕事がつまらない
1.面白い人との出会いが少ない
これはひとえに自分のせい。
…といえばそれでおしまいだけど、それは「原因」である。
自分の外とのつながりが少ない(あるいは自分と合う集団とつながれていない)せいで、面白い人との出会いが少ない。
ただ、「結果」として見ると、こうも言える。
「人生がうまくいっていない」
面白い人との出会いが少ないから人生がうまくいっていない。
まあこの2つを繋げれば結局己のせいやんけとなるけど、結果のほうはバロメーターとして捉えたいのだ。
つまり、周りに面白い人が多ければ人生がうまくいっている時期だし、そうでなければうまくいっていない時期。
これはあくまで、自分の経験則なので、誰にでも当てはまる法則ではない。
けど自分自身が鬱屈しているときは、身近なゾーンに分かり合える人がいないことが多い。(当然と言えば当然だが)
一方、そういった状況下において自分は弱すぎないか?というのが最近の疑念。
周りにいい人・面白い人がいないから人生うまくいかない!というのはある意味では正しいけれど、必ずしも周囲の100%の人が自分を憎んだりいやがらせをしたりしている訳でもないし、また私も100%の人を憎んでいる訳でもない。
当然といえば当然だけど、そういう時期は憎まずに済む人との繋がりを保ちながら「やり過ごす」ことも必要なのだ…というか今それを迫られてる。人生で何回目かのシチュエーションだけど今更気付いた。
やり過ごせますか?というのを問われている試練の時とも言える。
2.仕事がつまらない
これも対象が人から業務に変わっただけで、構造としては1.と同じ。
ただ、つまらないの範囲を考える必要がある。
その仕事の根本的な部分が合わないのか、今担当している業務が合わないのか、仕事は好きだけど会社が合わないのか…(ただし、職種によってある程度のカラーはあるだろう)。
自分で選んだ仕事なのだから、1.と同じく100%嫌いというのはないだろう。
ブラック企業で現在の環境の100%が嫌いだとしても、入社を決めたときに自分が惹かれる何かがあったはずだ。もうその仕事しか選ぶ余地がなかったというのでなければ。
入社のとき惹かれたこと、今向き合っていることや以前担当していた業務で楽しいこと。
それが「BtoBの営業!」とか「精密機械の生産技術」とか細かい話でなくてもいいと思う。いや、はっきりしてればしてるほど次を見つけやすいとは思うけど、悩んでいる人にとっては、部品のような希望をちょっとずつ集めていって像を作るしかないと思うのだ。
そうして整理してから結論を出す。今の会社のまま配置転換を希望するとか、とりあえず転職サイトに登録してスカウトを待ち、面談だけしてみるとか。実際に転職活動をして内定もらった後に現職で配置転換が叶ったとか、改めて現職の良さを感じ残留を決めたパターンもある。
1.も2.も、悪いところだけ見過ぎない、というのがコツ。
また、これは自分自身に対しても言えるけど、それは別記事で記す…かも。
日本帰ってきてからANZのログインパスワード忘れると大変なことになる。
こんにちは。
久々にワーホリというか、オーストラリアネタが出来ました。
帰国して1年4か月ほど経ちますが、いまだにほったらかしだったANZの口座。
解約前に日本の口座に送金しようとログインを試すも、パスワード忘れて試しているうちにロック。
ここで登録した電話番号が使えればパスワードリセットも問題なくできるのですが(電話番号にリセットに必要なパスコードが送られる仕組み)、オーストラリアの電話番号はもちろん解約していて使えない。
いろいろなブログを読んでみたら「電話するしか方法はないけど、英語がつたなくてもなんとかなる」とのこと。オーストラリア滞在中もCRNという番号がわからずANZに問い合わせたところ、優しく対応してくれて解決したことがあったので、なんとかなるだろうと電話。
1.国際電話はどこが安い?
オーストラリアにいたときは国際電話無料のプランを契約していたけど、日本からだと高いです。私はワイモバイルですが、なんと99円/30秒…。
いろいろ調べたところ、ネット環境があれば「LINE OUT」が安そう。さらに「LINE OUT Free」だと3分までは無料だそうだけど、3分すぎると強制終了とのことで、120円分のコールクレジットを購入。こちらは2円/1分!99倍安いです。プリペイドだし。普通のLINEアプリがあればかけられます。
さて電話!プルルル「ガチャッ」ツーツー…。
( ^ω^)・・・?
再チャレンジ!プルルル「ガチャッ」ツーツー…。
( ^ω^)・・・。
しかもそれぞれ2円ずつかかってます。なんなんだろう…。
プルルル…トゥルルル、トゥルルル…繋がりました。
2.ANZにつながった!が、事前情報と違う件
あるブログでは最初は機械音声で、カードナンバー等を入力するとオペレーターにつながるとの話だったのでそのつもりでいたら、空いていたのか直でオペレーターにつながってしまいました。
しかも苦手なインドなまり。とりあえず、ログインしたいけどパスワード間違ってロックされた、でも日本に帰ってきて電話番号変わってるからパスワードリセットできないのでお願いします…というのをしどろもどろになりながら伝えます。
名前、誕生日、今の電話番号を聞かれたので答える。日本の番号でも問題ないとのこと。
さらに、カードのタイプを聞かれる。意味がわからなかったので、VISA DEBITと答えたら違ってたらしく、「もっと簡単な質問する」と言ってくれました。
その質問とは、「セキュリティコードは何か」。
実はANZって番号やらパスワードがたくさんあるのです…。
- 普通のカードの口座(ANZ Access Advantage)番号
- オンライン口座(Online Saver)番号
- CRN(Cunsomer Registration Number)
- インターネットログインパスワード
- カードの暗証番号(PIN Number)下ろすときに入力する4桁の番号です
- VISA DEBITの番号(クレジットカードと同じく16桁)
- VISA DEBITのセキュリティコード(カード裏署名欄の3桁)
で、「セキュリティコードって何?」と聞いてもよくわからない。私はこういう状況には幸か不幸か慣れていて、ずっと「sorry?」と聞き返していました。
とうとうオペレーターが痺れを切らし、「母国語はなんだ!」と聞いてきました。ジャパニーズ、と答えると、少しして「こんにちは、〇〇さん」。まさかの日本人通訳登場です!
もう一度電話番号を聞かれました。確認なのか、前伝えたのも伝わっていなかったのか…。
で、セキュリティコード。これはANZに電話する時に必要な番号で、数字とアルファベットの組み合わせで、与えられるものではなく、自分で決めるものだそうです。以前電話したときに決めたり聞かれた覚えは正直ありませんが、実は口座開設時に決めるものだそうです(後から調べました)。
知らん、と答えると「今決められるから決めて」とのこと。今決められるものがなんで今必要なのか?と思ったけど、「次電話するときは必要だからメモしておいてね」ということだそうです。
そして最後に「テレコード」という5桁の番号を伝えられました。これは最初にログインするときに必要な数字だそうです。
日本人の方にもオペレーターの方にも丁重にお礼を伝えて終話。
3.ログインしてみたよ
パスワード忘れた人はこちら~から必要な情報を入力していくと、日本の電話番号あてにSMSが届き、無事パスワードリセットできました!!!ありがとうオペレーターさんと通訳さん。
ちなみにテレコードは全く使いませんでした。
あと、開設後1年を過ぎると毎月5ドルずつ口座維持手数料が差っ引かれます。$2000以上残高があれば、口座維持手数料もかからないようですが。
しかしあれですね、「自分が聞き取れないときは相手も自分の英語を聞き取れない」(逆も然り)という法則を久々に思い出しました。
あと謎の手順を踏まされるという、オーストラリアあるあるも…。
こんなことにならないように、現地口座を解約するつもりで英語力のない方は帰国前にどうにかしましょう。超めんどかったです。
おわり
小さな成功者ほど、あれはダメこれもダメとダメ出しばかりする法則。
最近…でもなく、数年前から感じていたことを、また感じる機会があった。
感じていることというのは、タイトルそのまま。
「小さな成功者ほど、あれはダメこれもダメとダメ出しばかりする」
「小さな成功者」は、具体的にどういう人たちかというと、私の周りで言えば趣味の道で少し利益を上げている人とか、夫が年収いいとかそういう人たち。
でもそういう人たちに「〇〇をやってみようと思う」というと、だいたい反対される。
もちろん、私よりは成功経験があるのは分かっているのだが、専門外のことまで自信満々に「どうせダメだ」と否定してくるのだ。
うまく聞き流せればもっと楽になれるんだろうけど、スルースキルが低いので、言われるたびに悶々とする。
そういう話をしなければいいのだとも思う。そう思っているうちに、1人とは会わなくなってしまった人もいる。
「1つの道で少し成功した人」は、弱いんだなと思う。「自分はこうやって成功した」という一点が、その人を支えるプライドなんだろう。
私だって経験はないけど、そのアドバイスに説得力があるかどうかと言われればない。否定されても、理路整然と論破されたほうがまだマシだ。
私のやろうとしている分野、やりたいことで彼等より成功している人はいくらでもいる(もちろん当初からうまく成功を収めたわけではないだろうが)のに、その人たちのことは見ようともしない。いいところを取り入れようともしない。
説得力のないアドバイスに振り回されている自分は弱いのかな。
まあ何の道でも否定してくる人は絶対いるもんだから、そんなんに惑わされる暇があったらやりたいことに時間使おう、と自分に言い聞かせる。
承認欲求も断捨離したい。
こんなコピペをご存じだろうかb。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。
それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。
すると漁師は 「そんなに長い時間じゃないよ」 と答えた。
旅行者が 「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」 と旅行者が聞くと、
漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、 女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。 いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。 お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」
漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」 「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、 子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、 ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
最近自分の夢、あるいは目標というものが、どちらかと言えばそんなポジティブなものではなく強迫観念的なものであることに気が付いた。
そして、脅迫的なものほど実行できない。構えないことほど、さくさくと手をつけることができる。
さて、その強迫観念的なものの目的はなんだろうか?
例えば年収を上げる、有名企業で働く。おおざっぱに言えば、強迫観念的なものはそんなもの。
それは自分をバカにしていた人を見返したいという復讐感情から来るものなのだが、ほんとうに自分のやりたいことではないので身に力が入らない。自分に自信がないので、わかりやすい指標で自分が上に立ちたい。(念のため言っておくが、こういった即物的な目標が悪いわけではないし、復讐感情を良いモチベーションに転化できる人もいる。私ができていないだけ。)
やりたくないことをやらなくては、と思っていてもできないし心が休まらない。
体調不良もあり気が滅入っていたので、いろいろな気分転換の方法を試した結果、結局「騒がしくない喫茶店でコーヒー飲んで一息ついてぼーっとする」のが一番今の自分に合っているとわかった。
少し落ち着いてくると、ずーっと心の底に漂っていた「やらなきゃ」が本当は自分にとってそんなに欲しくないことであること、なのに自分のキャパを超えて自分に課していること、それで疲れていることなど、今まで見えてなかったことがだんだんとわかってきたのだ。
仮にこういった欲求が叶ったとして、自分はどうなりたいのだろうか?
「騒がしくない喫茶店でコーヒー飲んで一息ついてぼーっとしたい」
まずは落ち着いてから、ほんとうにやりたいことに取り掛かろう。
日本人同士、あるいは多国籍。シェアハウスあれこれ。
こんにちは!
オーストラリアで最大8人相部屋、3人のルームシェア、日本で2か所のシェアハウスを経験(うち1つは現在進行形)して思うこと…。
日本人同士の方がシェアハウスはつまらなくなる割合が高かった。
てか挨拶ぐらいしろ。
挨拶ぐらいしろ。
挨拶ぐらいしろ!40代女!!!!
って思うので、ざっくりとしたシェアハウス&ドミトリー(相部屋)&ルームシェア体験記やあるあるネタを書いていきたい。
〇日本人同士のシェアハウス、ルームシェア
オーストラリア時代、日本人だけでルームシェアしていた時期もあった。
どうだったかというと、そこはオーナーさんが(人選含め)しっかりしていて、基本的には楽しかった。1人合わない人がいたけど、挨拶や最低限の会話はしていたし。
日本でも、1か所目は外国人と日本人が入り混じっていて、そこは国関係なく仲良くなる人は仲良くなるし、人と関わらない人はそうしてる感じ。そこで出会った韓国人の子は今でも連絡を取り合うし、日本人の方とも繋がってはいる。
〇外国人の雰囲気って?
とはいえ、外国人との間でもトラブルはあった。
オーストラリアのシェアハウスにいたころ、ルームメイトとの間にとある出来事が起きて、オーナーに意見を伺ったがメールの返事すら来ない。
同じシェアハウスに住む日本人に聞いたところ、その人への返事もよく遅れるとのこと。逆に気に入った女の子(オーナーはおっさんで、女性専用シェアハウスだった)は家に招いてオーナーの奥さんのデザートをふるまわれるそうだ。余談だが、日本人だとギャル系が好みのようで、以前滞在していた日本人の写真がみなギャル系だった。
結局私は部屋を移ることになった。でもそこの移動先の部屋のフランス人の女の子が本当に良い人で、本当に短い間しかそこに住まなかったけど、今でもやり取りがある。
だからまあ悪いことばっかり続くわけじゃないし、困っている人がいたら今度は自分が優しくしよう…と思ったのを覚えている。
〇差し入れすぐなくなる説
シェアハウスの良さって、家賃の割に共用施設の質が高いことが挙げられると思う。
どこも家賃はすごく安かったけど、だからなのか、「がめつさ」を感じることがある。
それが「差し入れすぐなくなる説」である。
住人や大家がいただいたものやお土産を共用スペースに置いてくれるのだが、なくなる速さが尋常じゃない。
冒頭の挨拶しない人も、リビングにいた私をガン無視してお土産だけ取っていったことがある。
オーストラリアはお土産の文化はなかったけど、フリーフード置き場はいつもごちゃごちゃしてたなあ。
〇掃除しないと、「お客さん感」が強い?
掃除当番制のとこと、大家さんや業者が清掃に入るところがある。まあ安いとこほど当番制が多い。当然だが、いずれにしろ自室は各自掃除である。
今のところは、間取りやデザインはすごく良いのだが、気が停滞している…気がする。落ち着いてはいるんだけれども。
で、なんでかなと思ったら、安いのに大家さんが掃除してくれるのも原因か…?と思い当たった。
自分で掃除しないから、お金払えば使えるんでしょ、という態度のように見える。自律・自立してない感が強い。自分の行動が、どう他人に影響するか考えられないというか…。印象論になってしまうけれども。
仮説ではあるが、個人的には腑に落ちる部分はある。
結論:早く自立したい
今は体調崩していることもあり、金銭的にも引っ越しは辛いけど、この安いとこしか住めない…というマインドを変えたいものである。
住みたいアパートはあるんだけど、収入が全く追いつかない。追いつけ!収入!
大体の自己啓発書はタイトルだけで腹いっぱいだし、実践できてる人ほとんどいない説
今回は自己開発書の話。
私自身社会人になってから自己啓発書をたくさん読んできた。たぶん200冊はゆうに超えてる。(もっと読んでいる方はいくらでもいるでしょうが)
それで読書の経験が活かせたのかというと、そうでもない。それは本がショボイということではなく、ひたすら自分が悪いからだった。
私のように無駄な時間を費やしてほしくないので、無駄にしないために気を付けることをお伝えしたい。
まず、自己啓発書についてのポイント3点。
- 重要なことはほぼタイトルに書かれている(出オチ)
- 気になる自己啓発書は、自分が得たいと思っていること
- 多くの人は自己啓発書の内容を実践できない
1つずつ見ていこう。
1.重要なことはほぼタイトルに書かれている(出オチ)
いまの時代の自己啓発書のタイトルは、ほぼほぼ直球。
例えば、「遥かなる道~社長になるまでの30年間」なんてタイトルは、誰も手に取らないし、売れないから出版されない。だって自分に有益な具体的な情報がイメージできないから。
「マインドフルネス」とか「ノート術」などの方法論の本もあれば、「常識を疑え、壊せ」といった視点、価値観についての本もあるけど、共通しているのは「イメージを
想像しやすいこと」。
そして、大体の自己啓発書は細かな方法論や筆者の体験談を交えながら、大本のテーマを実現するにはどうしたらよいのかが書いてある。
2.気になる自己啓発書は、自分が得たいと思っていること
自分が買ったり借りたりする本は、自分が必要だと思っているテーマについて書かれている。
だって気になるから手に取るんだもん。
5年目の10年目の人が、「新人が気を付けたい30のこと」ってタイトルの本は手に取らない。
だからその本にすごく惹かれても、それは自分の意識であって、客観的に絶対必要とは限らない。
ちなみに、ここは自己啓発書依存気味になっている人に気を付けてほしいポイント。
別に読まなくたって、自分がダメになるわけじゃない。
同時に、読んだだけで自分が改善されるわけでもない。
インプットが多すぎて混乱している人、疲れている人、自分を責めている人は、一旦こういった本から距離を置くこと。
自己啓発書を読むよりも、自分のケアに時間を割くべき時かもしれない。
3.多くの人は自己啓発書の内容を実践できない
そもそもなぜこんなに自己啓発書が溢れているのか。
それは、売れるから。手に取る人が後を絶えないから。
なぜ手に取るのか?情報が有益だから…とか、理想が尽きないから…というよりは、読んでも読んでもあまり改善・解決できていないためではなかろうか。
冒頭に書いた通り、自分はたくさんの自己啓発書を読んできた。
けれどもそれは、「準備期間」であって、ほんとうはやりたいけど出来ていないことや、本当に改善したいことから逃げていた。そのための言い訳としての読書。
ぱっと見は、自己啓発書を読んでいれば、有意義な時間を過ごしているように見える。社会人といて、あるいは自分のポジションに対し、何か積み上げたような気になっている。
どれだけ実践しましたか?
どれだけ自分の人生は、自分は変わりましたか?
実践して変わったという方は、本来の意味で自己啓発書を使えている。
けれど、「実際に実践したこと」が片手も思い出せない人は…逃避の隠れ蓑にしている可能性が非常に高い。
では活かすにはどうすればいいのか?
まとめ:タイトルだけ読んで即効実践する。
タイトルに惹かれたら、それは自分がやりたいこと。
もうタイトルから想像したことをやってみて、なんか違うと思ったら本文読むぐらいでもいいのかもしれない。
本屋入って表紙見て「そうそう!これこれ!やるやる!」ぐらいでもいいのかもしれない。
本当に行動しないと人生変わらないから。
夢が叶わないと言う前に、努力はしてるのかな
なんだか上から目線なタイトルだけど、これは今の自分に向けたもの。
ある道で成功されている方がおっしゃっていたこと。
「自分はその道で食っていきたかったので、それ専用のSNSアカウントを作成して発信してきた。そのアカウントには、その道以外のプライベートは一切投稿しなかった。そうしたら注目されるようになり、それだけで食っていけるようになった」…と。
もちろんこれは一例で、どの道でもそれだけで成功する訳ではない。その方自身のクオリティだったり、展開する場所や手段だったりと、SNS以外の努力ももちろん成功要素としてある訳で。
でもその方がわざわざこんなことを言ったのは、「これぐらいのことはできるんじゃないか、本当に叶えたかったら」ということなのではなかろうか…と、ふとこの言葉を思い出しながら考えていたのです。
私もいまははてブロでザーッと記事を書いているところですが、本当は別のスタイルで、系統立てて複数のブログを展開したいのです。ネタはもやもやと頭の中にいろいろあるのだけれど、自分の理想にはアウトプットの量も質も全然足らない。
でも、努力しきった結果が今なのかと問われたら違うよなー…と思う。
まだできる努力がある。
このブログを始めてから多分1年半くらいは経ってるのですが、まだ50記事を超えたところ。しかも1つのブログにそのとき書きたい分野を書きたい文体で書いてるもんだから、まあカオス。
それでも書かないよりは書いた方が自分の経験になるし、一度記事を書いて公開してしまった方が、後から整理や手直しもしやすいのかな、という狙いもあります。完全になるまで公開しないとなれば、永遠に公開できないまま月日と焦りだけ重ねてしまう。
まだできる。
今はパソコンにいきなり書いてしまってるけど、もしかしたら最初にプロットを作った方が書きやすいのかもしれない。それに更新頻度もせいぜい1日1回で、1週間全く更新しないこともあるけど、もっとさくっと書くリズムを自分の中に作りたいんですよね。
風呂ぐらいのノリで。入るまではめんどいけど、毎日必ずするっていう。
それに最近体調を崩して、改めて苦しい気持ちを体験して、苦しんでる人が少しでも楽になれる方法を発信していきたいとも感じました。
自分には何もないけど、苦しんだ経験はあるから。苦しみも私の人生の一部だから、その傷を隠すことはもうあまりしたくないのです。
自分への叱咤激励のために書いた記事でした。