メルボルブログ

オーストラリアからライフハックを考える

毎日自分を肯定することの難しさ。【日記】

最近というか本当にここ2,3日前から、「自分を全て肯定する」という練習をしています。

 

ライフハックやら自己啓発やらスピリチュアルやら、いろんな本やブログ、メルマガなどを読んできました。

不思議なことに、それは日本では「ただ読んでいるだけ」だったのですが、オーストラリアに来てからチャレンジできています。日本だと読んで、何も変わらないまままた読んで、読んで…といった感じでした。オーストラリアだと何故トライできるのかは、また後日考察したいと思います。

 

そうやってトライする中で、「あ、ああいう風に言っていたのは、こういうことかな?」と、自分の中で捉えなおしたりピンと来たりする機会も増えました。

上に挙げたような書き物って、全然難しいことばは使われてないことがほとんどです。

なので、日本にいるときは、分かったつもりになっていました。でも、オーストラリアに来てから、ちょうどいいぐらいの(笑)高さの壁を感じています。「分かっていなかったorできていなかった」ことが、ようやく分かって、ストンと受け入れられてる状態です。

 

で、いまのテーマの「自分を肯定する」。

実は私は高校生の頃から病気を患っています。今はほぼ症状はないし、出ても弱いものです。ほとんど普通です。

でも、私はずっと「病気になってしまったせいで人生辛い」というストーリーの中にいました。

目の前のことに集中しきれなくて、その負のストーリーに、苦しめられていました。見方を変えれば、自分で自分を苦しめていました。

 

今自分がいる場所は自分が選択したこと。そういう言い方も、いくつかの場所で見かけました。

そう言い切るには余りにも辛い状況に飲み込まれることもあります。

ただ、私の今のオーストラリア生活は、全くそうではないのです。

日本にいたときよりも月に入ってくるお金は少ないけど、仕事内容も時間も日本よりずっと少ない。仕事内容を考えれば、日本ではもらえないであろう時給をもらっています。

英語環境も、当然ながら日本にいたときとは比べ物にならないほど恵まれています。図書館には高価な英語学習の本がいくらでも置いてある。無料の英語教室にいくつか参加している。オージーの友達もいるし、オージーのルームメイトもいる。

こんな良い環境で、オーストラリアに来てまで、なぜ自分はネガティブなんだろう?なぜ未だに過去を引きずってしまっているのだろう?…と、数日前に思ったのです。

 

ほかの方がどうなのかは分かりませんが、私はある時期から、ずっと半分死んだような顔をしていたと思います。それは渡航前からです。

心ここにあらず、という表現がぴったりです。まさしく、心の半分は、現在ではなく過去を見ていて、それに対してずっと不満やコンプレックスを抱いていました。

 

でももう病気の症状が出てないなら、病気がどうこういう必要ないじゃないか、ということに気づいたのです。もっと言えば、病気になったことで失ったことばかり着目して嘆いてましたが、病気と付き合う中で学んだことや出会えた人もたくさんあったのです。それに、快方に向かっただけでも運が良いとも言えます。もっと辛い環境に置かれている人で、私よりも強く強く生きている人だってたくさんいるのに。

 

だから、過去に視界の半分を持っていかれるのはもうやめよう、やめたいと思いました。それがたった数日前ですが。

 

ネガティブさんともながーい付き合いなので、1日のうち幸せな気分を味わったと思ったら、またすぐ出てくることもあります。昨日も今日も結構乱高下がありました。

まあすぐにネガティブゼロにはならないし、人間ですからネガティブになることも自然なことです。

でもそんなときは飲み込まれないように、ちょっとだけ俯瞰してみよう!というのが今の目標です。感情や気分に流されやすいので…。

 

せめて寝る前だけでも、いろんな人や大事なものの為に祈りたいです。

そして明日、目を開いて、ああこの景色は私が見たかった景色だと言えるようになりたいのです。