現実逃避の果ての果て【海外には来たけれど】
出発前、海外に行くのだというと、行っても何にもならないよ、と数人の人から言われた。
そのうち一人は、「行っても話せなかったよ!」と、なぜか自慢げに言っていた。
何のために行くのか、としつこく聞いてきた人もいた。
何のために…
何にもならないのに…
そのフレーズは、繰り返し出てくる。
もっとも、ある意味当然ながら、渡航前から私自身がそんなに悲観的になっていたわけではなかった。そんなにというか、全くと言っていいくらい。
かと言って、「行けば英語力があがるー!海外にいる自分キラキラしてるー!」と幻想を見ていたわけでもない。
結構自然な状態だったと思う。
渡航以前の逃亡歴
ただ、海外がどうとか英語がどうとかワーホリがどうこう以前に、私がずっと逃げ続けているのは、私自身よくわかっていた。逃げざるを得なかった状況だったことも。
ものすごくざっくりと説明すると、私は10年以上前に病気になってしまった。
気付かないうちに悪化していて、いっときは日常生活もままならない状態だった。
運よく腕の良い医者にたどり着き、私は病気を治すことができた。
でも、その後が大変だった。
どうしたらいいのかわからなくなってしまったのだ。
病気の治療、それが第一で、それ以外の目標はなかった。
それに、努力しようとしても、無理して再発したらどうしよう、と思う自分もいた。
医者に相談することはできても、結局すべてを医者に決めてもらうのは無理だ。
病気の再発リスクがある自分に、どこかで負い目を持つようになってしまった。
同時に、それは手を抜いたり自分のやりたいことをあきらめたりする言い訳にもなったように思う。
病気が先か、恐怖が先かわからないけど、二つが絡み合って悪循環になったのは間違いない。
ワーホリは逃げなのか?
ここで冒頭の話題に戻るが、
「何もできないのに」「何をしに行くの?」と問いかけた人からは、私のワーホリ(海外渡航)は現実逃避にしか見えなかったのではないかと思う。
前述の通り、私は渡航以前から「逃げていた」。
そして、私はこの現実逃避を終わらせたくて、海外に来た。
(それ自身が現実逃避、逃亡だと言われたらそれはその通りだ)
海外でのんびり過ごす。これ以上に逃げる先なんて、ないじゃないか。
ある意味、ドン詰まりに自分を追いやったとも言える。
その結果…
今、劣悪な環境で働いている。こんなんだったら日本の方がマシだったと思うぐらい。
そのほか、オージーの友達と遊ぶのも、ローカルの団体に関わるのも、こっちにいる日本人も、ドタキャンや急な変更や依頼が本当に多い。やむなく、ではなく気分次第運次第。
海外でのんびりと、と言っても我慢しなきゃいけないことが多い。
でも、こんなもんなんだと思う。
というのは別に、「辛いことばかりだから我慢しつつやっていくんだよ。」というサラリーマン的な教訓を言いたいわけではない。
また、「海外に来たのにこんな感じでどうしよう」と落ち込みたいわけでもない。
とりあえず、目の前の辛いことはそれはそれで現実として受け止めて、それから打開策や改善案を考えようということ。
考えたらひとつずつ実践していくしかない。
そうしないと何も変わらない。
たぶん、私は、どこかに理想郷があるんだと信じていたのだと思う。
自分が何をしても病気にならない場所。絶対安全な場所。
誰も私の不愉快なことをしない場所。
でもそんなのあり得ない。
あり得ないのに、あると勝手に信じて、そうでなければ私は幻滅したり絶望していた。
そんな場所ないのに、自分で立ち向かわないといけないのに!
そういうことに気づいた。
今はあまり悲観的ではないけれど、自分も他人もあんまり信用できていないので、
もっと肩の力を抜いて動ければいいなと思う。