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オーストラリアからライフハックを考える

身体が動かなかったが、だんだんとほぐれてきた。

痛い。痛い。

1ヵ月と少し前から体全身が痛く、少しずつ仕事を休むようになっていた。

しかし、帰って寝てもよくならないどころか、次第に悪化し、今は療養中。

 

心臓の痛みもあったので循環器専門医の先生に診てもらうと、心電図に異常はないので自律神経から来る心臓神経症ではないかとのこと。

療養生活が始まると、次第に心臓の痛みは治まっていった。また、幸いにも死にたいとかそういうのは出てこなかった。

 

とはいうものの、気が滅入りやすかったり、あんまり物事を楽しめないでいる自分がいた。感情が揺さぶられないというか…。

これも波があるらしく、10日ほど前はマンガを読んでハマって紙の単行本を買って読み返したりもしていた。今週はそれがダメで、マンガを読んでもあまり頭に入ってこない。

 

外出は、近場で少しずつしている。満員電車は無理なようだが、自分で車を運転するのは好きだ。だんだん外出の時間を伸ばせるといいなと思うが、そう思うぐらい今は日常生活から離れたところに置かれているのかもしれない。

 

思ったより道のりは遠いのかもしれない。やっぱり転職の合間には、1ヵ月の無職期間を持たせるべきだった。転職してすぐにこんなに体調を崩すとは、夢にも思ってみなかった。

 

体調を崩したときの話は置いといて、感情の話。

どうにも体も強張っているし、テレワークではないくせに出社したらスカイプで会話するというバカげた制度のせいで、まともに人と話すこともない。長い時間満員電車に乗っても、雑談ひとつせず帰ることも稀ではなかった。

そんな中、同じ部署の人がコロナにかかったという。詳しい症状は伝えられず、その人は1ヵ月半以上出社していない。

消毒したから大丈夫ですというメールが1通来た。会社は1日も閉鎖しなかった。でもやっぱり、そんな中で友達に会う気分にはなれなかった。どれだけ会いたくても。

 

そうやって、「何か」が自分の中に蓄積されてしまっていったのだと思う。ひとつひとつは砂1粒だったり小石だったりするのかもしれない。でもそれは排出されずにわたしの体に留まり、いつの間にか体の自由まで奪っていた。

 

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先週1週間ほど横になっていたらだんだん体力も回復し、今週は少しずつ外出している。

昨日はスーパー銭湯に行き、タダ券があったので岩盤浴にも入った。空いている時間に行ったので、露天風呂も独り占め、岩盤浴も広い室内に私を入れても2~3人。混み始めてきたころに帰宅。

岩盤浴は今まで入ったどの岩盤浴よりも温度が低かったので、すぐ発汗する私にとってはありがたかった。暑くなってすぐ出てしまうのだ。ほかの客も寝ていた。

私もうとうとしていて起きる…というのを繰り返しているうちに、じわじわと汗が出てきた。

そのあとはお風呂に戻り(岩盤浴前に一度入っていた)、改めて露天風呂に浸かる。

 

銭湯は好きだが、このところは浸かってもゆっくりできないなと感じていた。銭湯に限らない。カフェでコーヒーを飲んでも、マンガを読んでいても、どこか体が休まらなかった。

でも昨日はようやく体の力が抜けた気がする。時間を気にせず、ぼーっとしていた。

疲れないように。仕事に戻れるように。どこかでそう思っていたけど、だんだん諦めがついてきたのかもしれない。

 

帰ってきて、「月曜日の友達(阿部共実)」を読んで号泣。

 

ここまで書くと、「休んでいて銭湯行ったら体ほぐれた」だけの話に見えるけど、そうじゃない。

銭湯に行くことが重要だったんじゃなくて、回復も蓄積しないとダメなのだ。蓄積された小石や砂に対抗するためには。

 

先週寝てたり、ぼんやりしていたことで、体力も気力も少しずつ充実していったのだろう。

でも焦っちゃいけない。だから、「いつも楽しんでいたことができない、できても楽しくない」って段階でもがっかりしてはいけない。

もしそんなときは、黙って手を止めて、布団にくるまってるか、日向ぼっこでもしていたほうがよい。じっと身を潜めて。決して自分を責めず。未来のことなど考えず、今日のいまの陽の光を浴びることだけを考えていたほうがいい。