メルボルブログ

オーストラリアからライフハックを考える

好きなものを好きであるということ。

こんにちは!

かなり久々の更新となりました。

今回は新しい?世の中で、昔病気をしたころからあった価値観がどう変わったのか…という話です。

このブログはワーホリの話中心だったのであまり私の過去については触れていませんでしたが、高校生の頃から病気になり、よくなったり悪化したり…を繰り返していました。ここ数年はだいぶ落ち着いていたのですが、この数か月ちょっとやな感じでした。

 

****

世の中の動きがこんなに変わるとは思いませんでした。

「新しい生活様式」と言われても。。。

テレワークになってよかった!という方もいれば、仕事が少なくなったり解雇された方、実質的に海外に行けないことで人生が狂った方…いろんなパターンがあります。

結局外に出て人と会ったり、集まって何かしたりという行動は多かれ少なかれ制限されています。

 

そういう中で、私自身はありがたいことに仕事はあるものの、テレワークは全く実施せず満員電車に乗って通勤しています。

でも前よりも人と会う頻度も下がってますし、コロナがなければたどりつかなかった仕事です。

目まぐるしく変わる世の中で、ある部分ではちょっとモノの見方が変わっている自分もいます。

 

満員電車に揺られてると、「人生の質ってなんだろう。」と思いを馳せます。

どんなに天気が良い日でも、日中はオフィスにこもって仕事をする。帰るころにはとっぷりと日が暮れている。なんだかとっても損した気分です。

損した、というのなら今の仕事を辞めて深夜バイトでもすればいいのでしょうが。あるいは自分でスケジュールを組めるような仕事にすればいいのでしょうが、生憎いまの自分はそんなスキルを持ち合わせていません。

 

ちょっと前まで、その「スキルを持っていない自分」を随分と責めていました。あるいは誰かを恨んでいました。あの人があのときああしたせいで、私は病気になって動けなくなった。とか。

 

最近、その罪悪感や他人に対する恨みが薄れつつあるのです。それと相まって、時間の感覚も変わって、少し長期的な視点を持てるようになりつつあります。

もっと具体的に言えば、「いまスキルがないのは、これまで何もしてこなかったからでそれは仕方ない。明日できるようになっているわけではないけど、努力したりチャレンジしたら少し先の自分は変わっているかもしれない。それまで多少波があってもそれは当然。」と云った形になるでしょうか。今自分に投げかけるのは、そういう言葉です。

 

仕方ない、という諦め。でもそれは未来永劫できないという諦めではなく、現状の自分を見つめるという諦めです。

未来永劫できないなんてのは、諦めじゃなくて呪いですから。

 

確かに私は、学生のときに先輩や先生から随分そのような呪いをかけられてしまいました。家に帰れば親も呪ってきます。お前ができるわけない…と。

そのうちに私はすべての自信を失って、自分の好きなものも好きだと言えなくなっていました。親が徹底的に否定するからです。

 

今の自分とそのころの自分で一番違うのって、そこだと思います。「好きなものを好きだと言えるか?」。

オーストラリアに行って、昔好きだったものを趣味にしているオージーを知りました。インスタ覗いたら、世界中にたくさんのファンもいました。日本では「え…?そんなもの好きなの…?」とマイナーになってしまう趣味でも、世界レベルで見ればたくさん仲間がいます。

しかも各々好きなように向き合っている。

 

それで「ああ、私も好きでいていいんだ、だれの許可も取らずに。」って思えたんですよね。

好きなものに触れていると、不思議とひがみとか恨みのような負の感情も減っていきます。(余談ですが、「アンチ」が多くてもケロッとしている人は、それでも好きなものや信念を突き通してるから充実感があるんでしょうね)

 

それで日本帰ってきてからも仲間を見つけて語ったり、勉強したりしています。仲間探しだけでも楽しい!

 

人でもモノでも、好きって気持ちが自分を救うのだと実感しました。

 

まあ、今は仕事でそれに触れる時間が全然なくて、それで充実感がないのですが…。

 

何を取るか?というのも、選択できる社会だと思います。

今の自分にスキルがなくても、好きなものに触れる時間が増えるような生活を送れるようになりたいものです。

今年もまだ2か月ありますから、年内にチャレンジを増やしていきたいですね!