形ばっか追っかけても、口に入れたくないものだったら結局は吐き出してしまう
こんにちは。ワーホリを経て休職中なのですが、だんだん元気になってきたので書きたい欲が出てきました。
抽象的なタイトルだけど、「…吐き出してしまうので、味を考えないといけない」という話です。結局比喩。
自分に合ったことはすんなって話です。
辛くてたまらない!
まず現状なんですが、9月から転職、12月から体調を崩し1月現在休職しています。
いろいろあって前の仕事が9月に終わることに。
9月中はほかにも引っ越しがあり、10月は資格試験。変えられないこれらのスケジュールの中での仕事探しと転職。
コロナで求人が減っていることもあり、内定が出た今の職場に飛びつくように「はい、行きます」と答えました。答えてしまいました。
その結果、12月のある朝、金縛りにあったように身体がガチガチになり動けなくなってしまいました。
金縛りというのは実は円広志さんの著書(「ぼくはもう一生分泣いた」)にも記載があるのですが、自律神経由来の症状のようです。多分。
今回はうつ症状は全くなく、「動けねー!」ってずっと心の中で叫んでました。
でも全身痛いし、動けないし、動くとふらふらするしで本当辛かった。
焦って決めた結果、過去の失敗を無視してしまった
とはいえ、唐突に決めた職場がすべてこんなに合わないということもないはず。
似たような経緯で決めた前職はとても居心地が良いものでした。
職場、特に人間関係は運の要素もあるので、ある程度は仕方ない面もあるし、忙しい中行動した自分を褒めてやりたい気持ちもあります。
しかし、私は元々パニック障害があった身。
避けられた部分もあったと思うのです。
例えば、今の職場は通勤に1時間以上かかります。特急電車にも25分乗らないといけない。時差出勤もできない。
今までの経験では、通勤通学に1時間程度かかるところは、よっぽど空いている時間帯でなければ、体調を崩し日常的に通うことができなくなっていました。
乗り換えや、途中まで自転車や徒歩など手段が多くなることも苦手でした。今のところも家から駅までと駅から職場まで、合計20分歩く必要があります。しかもどちらもコンビニ一つもないという、不便な場所。(家を決めたのも自分ですが)
ちなみに、車で行っても大渋滞。2時間かかっても着かなかったこともありました。
パニック障害持ちはコールセンターは合わない!
そして、やってみてわかったのですが、パニック障害持ちはコールセンターは合わない確率のが高いと思います。私は無理でした。
まず1人1人の机の仕切りが高い。コロナ対策でもあります。
基本部屋も閉鎖空間で、トイレ以外に一息つこうとなると、その時間も記録されます。
つまり、就業時間中は机でじっと電話を待たねばなりません。
コールセンターが合ってる人に聞くと、慣れてくるとそんなに電話もかかってこないしラクだよーという話も出るのですが、そんなことはあまりありませんでした。結局いつかかってくるかわからない電話を待ってるわけだし。
自分は、自分のペースで仕事をする方が向いていると気付きました。得意なところはガーッと進めて、詰まったらちょっと一息ついて考える。
そういうメリハリが必要だと気付いたのです。
とはいえチャレンジした自分を褒めて、今は休養しよう
前項目では「なんで気付かなかったんだ自分」というテーマでしたが、それでもコールセンター自体は初めてだったし、合ってるかどうかやる前まではわからなかったこと。
初めてのことにチャレンジした自分は、2回目になりますが褒めてやりたいと思います。
一方、目先の収入だけで動いてしまったことも事実。確かに今求人は少ないけれども、正直オーストラリア・メルボルンよりはずっと求人が多いと感じます。
バイトでもなんでも、無理なく生きられるだけの収入を確保しつつ、自分が本当にやりたいこと(当面はブログの拡充です)に打ち込めるだけの余裕を持っておきたいです。
仕事=収入だけではないですから、自分のやりたいこと全部叶える仕事!に来月からありつく…というのはあり得ない話でも、自分の日々の生活、趣味なども大事にできる仕事を探したい。理想論でも、まずは理想を持たないと振り回されてしまいますからね。
自分も自分の好きなことたちも大切にして生きよう。
自律神経失調症やパニック障害、不安障害でおすすめの本と実践したこと。part1
こんにちはー!(テンション高め)
先月金縛りのように動けなくなり、現在は調子のよい日は時短勤務で働いています。
だんだんと良くはなっているのですが、まだ週に1日ほど休んでしまいます。
調子のよいときに本を読んだり、本に書いてあることを試したりして、「ほかの人にも役に立つかも」ということつらつらと振り返っていきます。
この期間に読んだ本
- わたしもパニック障害だった/ルシンダ・バセット
- 本当の自分に出会えば、病気は消えていく
「あなた自身の人生」を生きていないとき、人は弱く、不調になる!
/梯谷 幸司 - 僕はもう、一生分泣いた パニック障害からの脱出 /円 広志
- 乗るのが怖い 私のパニック障害克服法 /長嶋 一茂
- ぼくが発達障害だからできたこと /市川 拓司
かぶっている記載もあるので、本はまとめてしまいました。
どれも著者や著者が接したクライアントの事例が載っています。
つまり、症状がひどいときはどのような症状が出ていたか、何をしてどう改善されていったか。
私のこの1か月も、これになぞらえて、私なりの考えを入れつつ振り返っていこうと思います。
-
スマホ、特に寝る前のスマホの時間を減らしたらめまいが減った。
携帯から離れようという話が一茂さんの本に載っています(この本は2010年出版なのでスマホではなく携帯となっています)。まあ携帯もスマホも同じです。
体調崩して動けなくなると、布団から出られなくなる。私は元々ガラケー時代から依存気味ではあったのですが、布団から出ないと、ずっとスマホを触ってしまう。これがさらにめまいの症状を誘引していたのだろう…と思いました。
試しに、お風呂出てからスマホを触らずに寝た日の翌日はすっきりとしていました。そのあとまあ平気だろうと寝る前まで2時間ほどゲームをした日の翌朝、やっぱりダメでした。久々のめまいです。
ただ、家にいるときのスマホだけではなく、仕事でずっとパソコンに向かっているという方は、パソコンの使い方も疑ってみましょう。私は3か月前に転職してから体調を崩しましたが、パソコンでたくさんのシステムを立ち上げ、瞬時に必要なシステムを参照する…という作業があったため、こちらもめまいを引き起こした原因だと思っています。私以外にも体調不良者が続出する現場でした。私はもう辞めるつもりでいます。
あと音楽環境。家でパソコンでリラックスのためにずっと音楽を流していたのですが、私の場合パソコン本体からずっと聞いていると気持ち悪くなることがありました。音響が悪いため、音酔いしてしまうのです。ヘッドフォンにしたり、たまには無音の時間を作るのもいいんでしょうね。
とはいえ、パソコンやスマホから離れる生活はなかなか大変です。
コツは、「ほかのことに集中すること、集中しなくてもほかのことをすること」です。
-
深呼吸する。ペースダウンする。
深呼吸も一茂さんの本に書いてあったことです。
瞑想やマインドフルネスが流行りましたが、そこまで気負わなくて大丈夫です。
布団で横になっていても、座っていてもいいので、とにかく深呼吸する。
一茂さんの本では「まず吐ききる」と書いてありましたが、過呼吸の症状がない人はたくさん吸うところから始めてもよいと思います。私はそっち派なので、お好きに。
これもまた一茂さんの本に書いてあったことですが、「パニック障害の人は早食いの人が多い」そうです。私自身は、食に限らずとにかくせっかちな気質です。この焦る性格が、パニック発作や自律神経のエラーに繋がっていたのでは、と思います。
お風呂入っても深呼吸。歩くときも、急ぎ過ぎない。なんなら深呼吸しながら、たまに立ち止まっていもいい。動作も落ち着いて。あわてない、あわてないと自分に言い聞かせる。
できる限り行動をワンテンポ遅くするだけで、呼吸もしやすくなりますよ。それに、焦るのはたぶん先のことまで考えてしまうからだと思っています。いま目の前のことに集中するだけで、切羽詰まった感じはだいぶ楽になります。そのための深呼吸とスローペースです。
-
病気が訴えていることを考える
これは1.と2.の本に書いてあったことです。
病気になることで、なんらかの「二次利得」を得ている。だから病気になり、病気を手放せないでいるのだ…と。
引き寄せの本にも、よくこのようなことが書いてありますね。トラウマや痛みを手放したいと思っているのに手放せないのは、自分にとってメリットがあるから。
こう書くと自己責任、みたいに聞こえる方もいらっしゃると思いますが、本でじっくり読み進めていけば、自分を責めずにこのことについて考えることができます。
一番シンプルなのは、「その状況/環境はあなたには耐えられないことなんだよ」と教えてくれていることなのでは…と、個人的には思います。
自分で大丈夫、できる!と思っていることが、本当は自分にとってものすごい強いストレスになっている。
ただ、乗り物が怖いから乗り物を避けよう、という単純な話ではありません。(例えば)乗り物を怖がるその恐怖心で、別の恐怖心を隠している。なにか重要な問題を隠してしまっている。
私自身は、現在の問題に向かい合うと傷ついてしまうので、不安障害やパニック発作が起こっているのだと気付きました。
それからはまあ、傷ついても向かい合うことにしています。受け入れるというか。
一方で、現在の問題を受け入れることはダメな自分を受け入れることでもあるので、自分に対して優しくなれた気がします。ちょっと余裕が出てきたといいますか。
長くなったので、part2に続きます!
病状はすぐには良くならないけど、いま改めて目標を考える。
12月半ばに体調を崩し、少しずつ復帰しているものの、道のりが長い。
良くなったかと思えば、ブレーキがかかる。
仕事に行けず外出もできず(コロナもあるしね)、部屋に一人でいると、このままでいいのか?と思う。
風で休んだ小学生みたいに「休みだー!いつも見られないテレビが見られるぞー」とかテンション上がればいいんだろうけど。休みでもうれしくない。今後の不安もあるけど、「自分の人生、これでいいのかな?」と、質の面で思う。自己満足すらできていない。
今の仕事は向いていない。早く辞めるべきだと思う。
一方で、じゃあ何をしたいのだろう?と考えることが非常に多くなった。
今まで逃げていたことに向き合う。
私は、これまで苦しんだ経験を活かして、同じように苦しんでいる人に対して、苦しみが少しでも楽になって、いまを生きられるようになるお手伝いをしたい。
それが、いまの一番私の目標。
いまを生きるのは、自分自身の目標でもあるけど、病気してからここまでやってきた道のりは、誰かの役に立てるものだと思う。
このブログはとてもひっそりとしているので、こうやって自分の思いや考えを出すのにちょうどよい。でも、この規模のことですら、前の自分であれば信じられなかったことだ。
前の自分ができなかったことができるようになる。ワーホリ中、そんなことがたくさん起こった。もちろん、何かする前にすごく怖かったり、全然うまくいかなかったこともあるけれど、いまこそ改めて新しいことにチャレンジするときなんだと思うし、できると信じていきたい。
いつまでも達成どころかチャレンジできない目標の見方を変える。
こんにちは。2021年最初の更新です。
2020年は不思議な年でした。もちろんコロナで大変だったりストレスを受けたりはあったんですが、その一方で知らなかった自分を良い意味で知ることもあり、人との繋がり方、愛の向け方についても考えさせられました。
いま現在自分は体調を崩しており、あまり動けません。コロナではなく、持病の再発です。発症から17年、ほぼ発症しない年もあれば再発することもありましたが、今回はちょっと重い。療養するしかないので布団で横になっていると、昔のもっと重かった頃を思い出すことが多かったです。
そこで感じたのは、「今の自分でも、当時の自分の環境と感じ方では、やはり八方塞がりになってしまう」ということでした。当時の自分は、自分を追い詰める考え方をしていたのです。そんなつもりがなくても…。
動けなくて寝ているとき、考えるのは今後のことと、今日やるべきことです。トイレに行こう、お風呂に入ろう、買い物に行こう。ということと、当時だったらバイト始めよう、でも続けられるかな?とか、学校に行かなきゃとかそんなことですね。
でもそれって次の行動を考えているようで、ものすごく頭を消耗していたんですね。しかも、そんなに体は動けないのにそういうことを考えると、「今日もこれができなかった。」とか、「自分はいつできるようになるんだろう。」とか、ネガティブな方に流れていきやすいのです。で、負のループに苦しみます。できない→やらなくちゃ→できない…という風に。
回復すれば、考えずにできることも多いのに。だから、ほんとうはそんなに考える必要もなかったのです。
それに、考えるほど怖くなる性質もあります。それで余計できなくなる。
2019年も2020年も、今までやったことのないことにチャレンジしなければならないことが多かったです。その中にはとても苦手なこともありました。それが案外スムーズにいったり、逆に得意だと思っていたことで大失敗したこともありました。
やってみないとわからない。そしてチャレンジするためには、あまり考えない方がいい。
特に2020年は、今までやりたかったことでも「自分の中のハードルを下げる」ことで取り組めたこともありました。極端なことを言えば、最初の1回で100点を取るために何か月もかけようとして結局取り組めないよりは、最初は0点でも10点でもどんどん慣れていき、3か月で60点を取る方が良い…ということです。もちろんシチュエーションにもよりますが。一度挫折しても、2回目のハードルはきっと下がっていますし、それだけでも1回目の失敗は栄養になっています。たとえ誰が文句を言おうとも。
そんなわけで、今年の目標の1つは、「しなければならない」または「したいけどできていない」目標の見方を変えることです。そして、見方を変えるには、結局触らないといけません。1年後、たとえ完全達成できなくても、なんらかの挑戦ができていますように。
うつじゃないけど動けなくなった日に思うこと
世間はクリスマスで浮かれて…と言いたいところだが(書いているのは12/24)、今日はコンビニとスーパーに行っただけで、クリスマス臭もファミチキが20円引きになっていたのとスーパーの総菜のラインナップがいつもと少し違っていただけだったので、浮かれているとも言えない気がする。大学生の頃は「リア充爆発しろ!」などと騒ぐのも楽しかったのだが、恋人はおろか一緒に騒ぐ友人も今はいないので、昔のがマシだったとも言える。でもこれはこれであんまり寂しくもなかったりする。
前置きが長くなった。寂しくはないが動けなくて辛い。ある日突然動けなくなったのだ。布団に貼り付いて、寝たままの姿勢で重力がかかっている感じ。あっこれ無理なやつだ、と思って欠勤の連絡をした。寝たら治ると思っていたが、一進一退を繰り返している。もっとも一進の距離は「近所のスーパーに行ける」という程度で、週5日40時間勤務はほど遠い。
精神科に行ったら初回にうつ病テストっぽいものを受けさせられた。死ぬ気だとか、自分は全く無力だとか、そういうことは全く思わなかった。全く無職になりそうなのに自信だけはある。体が動かないのだ。
体が動かないので、できることがない。なので体が動かない原因を考えていた。先生は自律神経というけれど、それではあまりにも曖昧ではないか。薬はめっちゃ弱いものしか出されておらず、さほど薬に対する不安感や不信感はないが、結局対症療法じゃないか。
出た結論は、「今の生活が嫌い(もしくは合ってない)」ということ。
仕事が多少辛くても、家に帰ってほっとする時間があればなんとかなる(かもしれない)。逆も然りで、仕事が楽しければ、家が多少ゴタゴタしていても、どうにかなる(かもしれない)。
今はたぶん、仕事も家も好きじゃないのだ。生活自体が。
家は興味があって選んだところに住んでるけど、正直もやもやする部分がある。住んでみないとわからないこと、今の場所に住むメリットとデメリット。
引っ越すのにもお金と体力がいるので、しばらくは無理だけど、なんとかしたい。というかなんとかしないと、人生良くならない。
******
自意識過剰でブログやSNSもロクに始められなかった自分だけど、このブログは細く続けられているし、今後は系統別に新たなブログを立ち上げたり、引き続きこちらのブログで書く練習をしたりしていきたい。
SNSもずっと始めたかった分野で1つ始められたので、来年はもう1つの立ち上げ。
ほかにも始めたいことがいくつかあるので、来年はとりあえず立ち上げるところまでは行きたい。
体調良くならないと新しいことだってできないけど、未来に希望を持たないと体が動くようにならない気がする。
理解されない悩みは辛い。でも自分で認められるようになれば、一歩進む。
ワーホリでオーストラリアに行く前、苦手な人がいた。
ただ、その人が全く苦手…というわけではなく、尊敬する部分もあり、立場的にも自分より上の人だった。
その人はエネルギッシュで実際に結果も出している人だが、その分自分の意見に絶対の自信を持っている人で、私の悩みやそのできごととなった辛いことを話しても、さらっと流したり、一蹴してしまったり、できないような解決案を出したりするのだった。
(余談だが、この「できない解決案」を出されるのはけして間違っていないと思う。それが自分の課題だったり、すぐにはできなくても後々何かのヒントになることもある。)
それでまあ、ふらふらしていた私は、その人の「圧」に押されてしまっていたわけだ。
会うと負けるし、自分の辛さは塗りつぶされてしまう。その頃の私に、自分の痛みを明確に捉えて抱きしめる強さはなかった。
帰国後、その人からふと連絡が来た。しばらく連絡を取っていなかったこともあるが、明らかに自分の立場が変わったと思った。今までだったら、経緯を説明しながら、申し訳ない気持ちが出ていた。その人の「解決策」を、実践できていないから。その人が軽々としていることのスタート地点にも立っていない。
スタート地点に立てていないことは変わっていないが、申し訳ないという気持ちが自分の中から消えていた。なぜ「解決策」ができないのか。それは私はその人じゃないし、その人とは使える時間が異なる。もっと言えば、目標だって全く違うのだ。
例えるなら、その人は書道で師範になり、教室を開いて生徒を多く集めるのを目標としている。私は書道を習って、手紙を書くことを目標にしている。ぐらいの差がある。
せっかくやろうと思ったことが、義務感で支配されたらもったいない。私は私なりの楽しみ方を見つければいいし、その手段としてその人のアドバイスが有用なら活用すればいい。義務感になるのだったら、手放してしまえばいい。選択するのは自分だ。
悩みだって同じ。誰かが素通りするようなことでも、自分にとって苦しかったり苦手であったりするのなら、その悩みや苦しみは確かに存在するのだ。誰かに否定されても、その苦しみや苦手分野とどう付き合っていくかは、結局自分で決めるしかない。
そういう自分主体の考え方ができるようになった、ということだと思う。
「自分はこれが好き」「これを選ぶ」とはっきり言い切るのは気持ちいい。押し付けるのではなく、表明するだけでいい。なんだったら誰にも言わなくてもいいのかもしれない。
なのに仕事という肝心なところで、「これがいい」と言えず、体調を崩してしまった。
とにかくもっと自分を知る必要もある。今はそう思う。
身体が動かなかったが、だんだんとほぐれてきた。
痛い。痛い。
1ヵ月と少し前から体全身が痛く、少しずつ仕事を休むようになっていた。
しかし、帰って寝てもよくならないどころか、次第に悪化し、今は療養中。
心臓の痛みもあったので循環器専門医の先生に診てもらうと、心電図に異常はないので自律神経から来る心臓神経症ではないかとのこと。
療養生活が始まると、次第に心臓の痛みは治まっていった。また、幸いにも死にたいとかそういうのは出てこなかった。
とはいうものの、気が滅入りやすかったり、あんまり物事を楽しめないでいる自分がいた。感情が揺さぶられないというか…。
これも波があるらしく、10日ほど前はマンガを読んでハマって紙の単行本を買って読み返したりもしていた。今週はそれがダメで、マンガを読んでもあまり頭に入ってこない。
外出は、近場で少しずつしている。満員電車は無理なようだが、自分で車を運転するのは好きだ。だんだん外出の時間を伸ばせるといいなと思うが、そう思うぐらい今は日常生活から離れたところに置かれているのかもしれない。
思ったより道のりは遠いのかもしれない。やっぱり転職の合間には、1ヵ月の無職期間を持たせるべきだった。転職してすぐにこんなに体調を崩すとは、夢にも思ってみなかった。
体調を崩したときの話は置いといて、感情の話。
どうにも体も強張っているし、テレワークではないくせに出社したらスカイプで会話するというバカげた制度のせいで、まともに人と話すこともない。長い時間満員電車に乗っても、雑談ひとつせず帰ることも稀ではなかった。
そんな中、同じ部署の人がコロナにかかったという。詳しい症状は伝えられず、その人は1ヵ月半以上出社していない。
消毒したから大丈夫ですというメールが1通来た。会社は1日も閉鎖しなかった。でもやっぱり、そんな中で友達に会う気分にはなれなかった。どれだけ会いたくても。
そうやって、「何か」が自分の中に蓄積されてしまっていったのだと思う。ひとつひとつは砂1粒だったり小石だったりするのかもしれない。でもそれは排出されずにわたしの体に留まり、いつの間にか体の自由まで奪っていた。
*******
先週1週間ほど横になっていたらだんだん体力も回復し、今週は少しずつ外出している。
昨日はスーパー銭湯に行き、タダ券があったので岩盤浴にも入った。空いている時間に行ったので、露天風呂も独り占め、岩盤浴も広い室内に私を入れても2~3人。混み始めてきたころに帰宅。
岩盤浴は今まで入ったどの岩盤浴よりも温度が低かったので、すぐ発汗する私にとってはありがたかった。暑くなってすぐ出てしまうのだ。ほかの客も寝ていた。
私もうとうとしていて起きる…というのを繰り返しているうちに、じわじわと汗が出てきた。
そのあとはお風呂に戻り(岩盤浴前に一度入っていた)、改めて露天風呂に浸かる。
銭湯は好きだが、このところは浸かってもゆっくりできないなと感じていた。銭湯に限らない。カフェでコーヒーを飲んでも、マンガを読んでいても、どこか体が休まらなかった。
でも昨日はようやく体の力が抜けた気がする。時間を気にせず、ぼーっとしていた。
疲れないように。仕事に戻れるように。どこかでそう思っていたけど、だんだん諦めがついてきたのかもしれない。
帰ってきて、「月曜日の友達(阿部共実)」を読んで号泣。
ここまで書くと、「休んでいて銭湯行ったら体ほぐれた」だけの話に見えるけど、そうじゃない。
銭湯に行くことが重要だったんじゃなくて、回復も蓄積しないとダメなのだ。蓄積された小石や砂に対抗するためには。
先週寝てたり、ぼんやりしていたことで、体力も気力も少しずつ充実していったのだろう。
でも焦っちゃいけない。だから、「いつも楽しんでいたことができない、できても楽しくない」って段階でもがっかりしてはいけない。
もしそんなときは、黙って手を止めて、布団にくるまってるか、日向ぼっこでもしていたほうがよい。じっと身を潜めて。決して自分を責めず。未来のことなど考えず、今日のいまの陽の光を浴びることだけを考えていたほうがいい。